オンライン小説「格差社会」19

ゲイの男は、小田原のバイト先でも、キャバクラでも、たまにボーイや調理場として働いていることがある。彼らがゲイだということは職場では周知の事実だった。なぜか、分かってしまうものなのだ。
その中でのチエミの数少ない経験では、ゲイの男は清潔で、几帳面で、いい加減な仕事は絶対にしない。職場では余計な偏見を受けなければ、重宝される。また、正義感が強く、長いものに巻かれない。仲良くなってしまえば、信頼できる。何より色恋が絡まないのがいい。チエミが今一番避けなくてはいけないと心しているのは色恋だった。客の誰かにふっと胸がキュンとする気持ちがしたりすると、絶対にその客には積極的に接近しないようにした。そのうち、その客が酔ってみっともなくなると、恋心は消えてしまうのだった。
このゲイのデザイナーは原口といって、まだ少し売れたところという程度だった。イヤイヤながら出版社に引っ張られてキャバクラに来てしまったので、もう二度と来ないだろう。
どうせ一度きりであれば、チエミはある程度本音を出してみることにした。
「エリカさんは若いよね。なんでこんな所にいるの?」よくある陳腐な質問だ。いつも答えは「お酒飲んで、楽しいのが好きだから」とか、「なんでかな?なりゆき?」とか。でも今回はチエミは
「お金を貯めたいから」と答えた。
「えー、そうなの? なんでまた?」
「お金があれば、好きなことができるから。原口さん、知ってる? お金がなかったら、人間は形が崩れて消えていくものなんだよ。この身体は、お金で支えられているの」
「へえー。すごいシビアなことを言うんだね」
「だって、原口さん、もう二度と来ないでしょ。朝7時に、渋谷のマクドナルド行ってみてよ。これが人間なのかと思うぐらい身体が崩れちゃってるホームレスがたくさんいる。あれは、お金がないせい。ただそれだけ」
「そうするとエリカさんはお金がすべてだって思ってるの?」原口はチエミに興味を惹かれた様子だ。
「すべてとは言わないけど、お金のないところに、幸せはないって思ってる」
「じゃあ、お金貯めて、幸せになるんだね? どんな幸せ?」
チエミはちょっと考えた。お金を貯めて幸せになるって、どんなことなのか。
「夢物語みたいなものはないの。でもね、たぶん、人に脅かされずに、しっかりした屋根のある家に住んで、自分の好きなものを食べて、好きな本を読んで、好きなことを勉強して。それがまず、お金がなければ、難しいことだと思ってる」
「そうだね。そういう世の中だな。ところでそこには、好きな人と一緒に暮らしてっていうのはないんだね」
「うん、私、あまり他人と一緒にいたいと思ったことがない」友だちも作らなかったし、誰かが近づいてきても、拒否した。チエミは貧乏で、両親から愛されたことがなく、誰から愛されたこともなかった。誰にも必要とされたことがなく、生きる権利も半分奪われたような貧しさなら、人とのつながりを求める気持ちにはならないのだ。美由紀は大切な役目を果たしてくれた人だけれど、友だちというほどの絆は作らなかった。誰かと友だちになれるという観念がチエミには欠落していた。それを美由紀は気づいたらしく「あんたって、きっと、私と音信不通になるわね」とため息をつかれた。
「そう。一緒にいたいような人がいなかったんだよ、きっと」原口は言った。「僕もカミングアウトするまではそんな感じ。誰もどうせ理解しないんだから、要らないってね」