オンライン小説「格差社会」17

1ヶ月渋谷で勤めたあと、チエミは歌舞伎町の店に移った。自営業の富裕層の客が多いという噂を聞いたのと、最終目的地である銀座には自分はまだ早いと考えたこと、六本木は派手すぎて自分に合わないように思ったのだ。
移ってみてわかったが、歌舞伎町には確かに成金ふうの客が多く、金離れは渋谷より良いが、普通のサラリーマンよりはあぶく銭を儲けているような手合いなので、無茶な要求をされることも多いし、危険度も高いということだった。他愛なく酔っ払ってしまう客の率も渋谷より低くて、いい加減飲んだあとで恐ろしいような冷酷な目つきで女たちを観察し、「お前は今おれにドンペリのボトルを入れさせようなんて思っているんだろ。でもなんでお前のためにそんなことをしてやる理由がある。つけあがるな」などと言ったりするのだった。
それに、ソープランドや風俗店が多いせいで、社会の底辺のさらに底辺的な光景を目撃する機会も多かった。
あるとき喫茶店で同伴の客と待ち合わせをした時、隣の席にいた女から目が離せなくなった。まだ二〇歳前に見えるが、水商売らしくけばけばしい服装と化粧をしている。しかしそれがひどく安っぽく、あまりに安そうなので、売春婦かと思った。しかし一番驚いたのがその痩せ方で、チエミも痩せっぽちだが、この女は病的だった。ほとんど骨と皮だ。手首の太さが大人の男の親指ぐらいに見える。
そしてこの女は初夏の気候の中、寒イボを立てて、コートをかき合わせながら震えていた。麻薬の禁断症状かもしれないし、栄養失調かもしれない。とにかく身体がメチャクチャなのだろう。
下手な化粧で縁取られた目は死んだ魚のようで、知性どころか感情も見えない。ただひたすら、生きているという現実に耐えているだけのように見える。もう生きていたくもないのかもしれないが、死ぬ気力もないのだろう。
この女と同伴する客がいるだろうかと考えていたら、案の定、待ち合わせの相手はホストふうの若い男だった。これもずいぶんと安っぽい感じのホストだったが、栄養状態は女より数倍マシなようだし、悪知恵は働いているようだ。どうやら、女のヒモになろうとしているように、チエミには思えた。女は頭も弱いのか、麻薬か栄養失調で思考能力を失ったのか、警戒心も見せていない。男はチャラチャラと言葉を連ねながら、女をコントロールしようとしている。
「なんだ、今日店に出るんだ。休みかと思ったんだよ。どっか行けるかと思ったのになあ」そのどっかというのはホテルだろうとチエミは勝手に思った。
「うん、そのはずだったけど、リエって子が休むことになって代わりで」
「そうなの、勝手なやつだね、そのリエって」
「でも今週、3日しか来なくていいって言われちゃって、給料が少なくなったから」あまり稼げないと判断されると、出勤日を減らされるのだ。
女が男に語っているところでは、富山のほうから出て来て、きょうだいが多いから中卒で働いていたという話だった。工場で働いていて、好きな男もできたけれど、他の女に乗り換えられてしまい、なんだかいろんなことがつまらなくなって、歌舞伎町に出て来た。喫茶店のウエイトレスをやったけど、収入がよくないし、面白いこともないから、キャバクラに誘われて、すぐやってみることにした。
何の武器も持たされずに世間に放り出され、今はかなり死に近いところに来ているのだな、とチエミは思った。
武器が大切だ。どんなゲームだって、武器をまず揃える。武器とは知性であり、美であり、魅力であり、言語能力などさまざまな能力である。そういう武器を持ち、常に磨き続けなかったら、この女のようになってしまう。
同伴出勤の相手が来たので、笑顔を振りまきながら、チエミは自分の武器のことを考えていた。