オンライン小説「格差社会」14

「エリカ」の初日の前に、チエミは佐緒里のアパートを引き払い、ビジネスホテルに移動した。佐緒里のアパートには二泊しかしなかったが、明らかに佐緒里は良い子ぶってチエミを引き受けるのでなかったと後悔している様子だった。このうえ、水商売をして夜中に帰ったりしたら、喧嘩になりかねない。チエミは佐緒里と喧嘩することなど、何とも思っていなかったし、むしろ「あんたみたいな偽善者は大嫌いだ」と言ってやりたい気持ちに駆られた。しかし、佐緒里に、歓迎せずに追い出してしまったぐらいの負い目を感じさせたら、あとで誰かが調べに来たりしても、かばってくれるかもしれないという打算があった。ただ、佐緒里はそもそも家出といった反社会的な行動にはまったく寛容でなさそうなので、あまりアテにできないかもしれないが。世の中には捨てるしかない親もいるということなど、おっとりした優等生の佐緒里のアタマに入る余地はないように思えた。
次に区の出張所に住民登録に行った。国民健康保険国民年金に加入し、身分証明書の代わりとなるものを得るのが目的だった。そして東中野駅付近の不動産屋をまわった。ただ単に、東中野駅近辺は水商売関係が住んでいる率が高いということをどこかで読んだからにすぎなかったが、本当だったようで、不動産屋も慣れたものだった。駅から5分、築30年の木造アパート、風呂トイレ付き、30平米で家賃5万円というのが見つかった。通りに面していて風通しがよく、大家が遠方に住んでいて管理人もいないから干渉されないというのが何よりだ。小田原で両親と住んでいた2DKよりちょっと狭いぐらいで、贅沢な気がしたほどだった。 
それから中野のホームセンターで当座必要なベッド、冷蔵庫、洋服掛け、台所道具などを調達した。自分のベッドで、個室で眠るのは夢だったし、自分の好みのカバーやシーツを買うのも嬉しかったが、現金が見る見るうちに減っていくのが恐怖で、人に見せないものは結局安物を買った。
なんとしても稼がなくてはならない。稼がなければ、ホームレスになって、死ぬしかない。
体験入店の日は、レンタルのブルーのワンピースに、やはり借り物のアクセサリーと靴を身につけた。派手なメイクと髪型のせいか、思ったよりは似合った。言われるままに客の隣に座り、煙草に火をつけたり水割りを作ったり、作り笑いをしながら適当に話を合わせているだけで仕事は終わった。酒は「ヘルプ」の身分だと振る舞われないことが多く、振る舞われてもちょっと口をつける程度でよかったし、バカみたいに楽な仕事だった。
幸運なことに、一人の客に気に入られ「延長、場内指名」が入ったので、マネージャーが注目した。気の弱そうな男で、何か言いたそうにもじもじしていた。
「あら、何かいいことでもあったんですかあ、何かそんな気がするけど?」チエミは水を向けてやった。
「いや、小さい会社で働いてるんだけどさ。○○って聞いたことある?」
「あら、もちろん。最近評判じゃないですか。とても有名な会社」
「まあ、そうでもないけど」まんざらでもない様子だ。
「それでそれで? どんないいことがあったの?」
すると男は、チエミの耳にひそひそ話で、今日、「執行役員」の内示があったのだと言った。
「すごーい!! おめでとうございます! それはなかなか大変なことですよね?」男の望み通り、チエミは大声を出してやった。
「いや、まだ内緒だから、そんな大きな声で言わないで」男は真っ赤になったが、得意そうだ。そしてチエミを延長・場内指名をしてくれた。
こんな楽な仕事で、2万円日払いされ、マネージャーから「明日から来てくれる?Sさん気に入ったみたいだしさ。電話番号とかゲットしてるよね?」と言われた。もちろん明日、Sの携帯にメールするつもりだ。
あぶく銭とはこのことだなと思った。コンビニで一日中、荷物を出したりレジを打ったりしてクタクタになるくらい働いても6000円ぐらいにしかならないのに、5時間で2万円か。もし、もっといい店に移ったり、指名料やら同伴手当やらがつけば、もっと稼げる。もちろん、服飾費はかかるし、たぶん、コンビニに勤めているのとは比べものにならないリスクがあるのだろう。美由紀からも聞かされてはいたが、きっと想像の埒外にあることがあるに違いない。でも、これ以外、チエミが浮かび上がる方法はないのだ。少なくともチエミはそう信じ込んでいた。絶対に用心して、慎重に、金を貯めるのだとチエミは思った。