オンライン小説「格差社会」13

チエミはまず、いきなり大きな店で競争するのではなくて、女子大生が小遣い稼ぎにやってくるような、厳しくなく時給も安めの店に入り、商売を覚えようと考えた。
ネットや求人誌で調べて、素人っぽさを売り物にしているような渋谷の店に行ってみた。 
開店前の、シャンデリアを消すと暗くて薄汚い店で面接をした。赤いベルベット張りのソファには大きなシミがあった。
店のマネージャーの男は痩せて顔色が悪く、指先がニコチンで黄色く染まっていた。服装もだらしなさを絵に描いたようで、シャツは薄汚れているし、ネクタイはヨレヨレだ。能力も大してなさそうだ。
「藤巻チエミさんっていうんだ、可愛い名前だねえ」まず、おべんちゃらを言う。「神奈川の、S高校出身で、いまA大か。なるほど。十八歳か。いいなあ、若くて」 
チエミは履歴書に、中堅どころの私立高校と、中よりちょっと下の私大の名前を書いておいた。いかにもキャバクラのバイトをしそうではないかと思った。
「四月に学校始まって、すぐキャバクラ?」ちょっと訝しげにマネージャーは聞いた。
「そうなんです、大学が決まったと思ったら、お父さんが(わざと「父」と言わなかった)お給料下がって、リストラもされそうだって。だったらお金自分で稼いで、大学の学費は、自分で出そうって思って」
「それはたいへんだねえ。殊勝っていうの?」マネージャーはちっとも大変だと思っていなさそうに言った。
「一人暮らし?」これはスケベ心丸出しだ。あわよくば手をつけてやろうと思っている。
「はいー。もう、家賃もけっこう高いし、学費も、私立だから、高いし」そんなスケベ心なんか全然気づかない風を装って、わざとゆっくりと、舌足らず気味に話した。
学芸大学だったら、渋谷のお店が便利なわけだ」近いから、自分が浮気に寄るのに都合がいいと思っている。
「そうなんですう」そこでさらにチエミは「でも、私なんか、出来るかなって思って。お酒もそんなに強くないし」実は自分が酒に強いことはチエミは知っていた。数少ない機会だったが飲んだことはあったのだ。しかし店では酒は出来るだけ飲まないことにしようと決めていた。理性をなくしたら負けるからだ。
「それは大丈夫だよ。慣れるよ。俺なんかもうずーっと飲んでるんだもんな。とりあえず、体験入店が一日あるから、やってみてよ」
「それは、お給料が出るんですか」
「出すよ−、時給三千五百円。ちゃんと日払いするからさ。明日来てよ。そのまんまでいいから」一人暮らしの、おぼこい18歳の女で、自分がまず一番乗りにやれるかもと思うと熱心だ。でも半分、投げやりに諦めているような雰囲気もある。いろんな目に遭ってきて、根気も粘りも勇気も、なくしてしまったように見える。
「だって、服とか、持ってないんですけど」
「レンタルがあるから。明日はレンタル代は要らない。普通は給料から引くんだけどね。ヘアも、それでいいでしょ。メイクも。うちは素人っぽさで売ってるから。いいかな、六時に来てよ」 
マネージャーはちらちらとチエミの髪から靴まで見て、さっさと決めると立ち上がった。嘘しか書いていないチエミの履歴書をぞんざいに掴んでいた。事務所の机に放り出すのだろう。ファイリングなんて冗談じゃないという感じだ。
「あのー、名前は? 本名じゃ、やなんだけど」すがるような調子で言ってみた。
「何でも好きな名前にしていいよ。何にする?」
「ええー、今決めるの?」困り果てたように言う。バカで苛々させられる女を演じようと決めていた。
「えー。じゃあー、じゃあー。もう、困ったなあ。えっと。エリカ」
「はい、エリカね」マネージャーはバカにしたように、履歴書の隅に『エリカ』とメモした。