壁塗り職人の1日

住宅の壁を塗るのが彼の仕事である。がっちりした身体に、角刈り、ペンキで汚れた作業着を着て、口べたな男だ。工務店から仕事を請け負い、現場に出かけ、日がな一日、壁を塗る。
幸いにも、二社の工務店から切れ目なく仕事が入ってきているので、仕事には困らないが、給料は安い。一日一万五千円ぐらいもらって、土曜日もだいたい働くから、二十五日で、月の収入が三十五万円ぐらい。これっきりである。ここから国民健康保険も税金も払わなくてはならない。どうも貯金はできなくて、なぜか金は残らない。病気なんかしたら、大変だ。
壁塗り職人には、経費もかかる。毎日、作業着は着替えなくてはいけないし、あまりボロボロでも、施主に評判が悪いと次から使ってもらえなくなるので、定期的に買い換えないといけない。何より高価で種類が必要なのが道具、刷毛やペンチやローラーやノミ、脚立、そしてクルマで、これもすべて自前である。
そこで壁塗り職人は、経費はレシートを保存しておいて、請求できるものは工務店に回し、あとは経費として確定申告をする。そういう細かいことをしなさそうに見えるが、その程度の繊細な神経を持ち合わせていないと、壁を綺麗に塗ることはできない。
自分は壁さえ綺麗に仕上げればいいので、その点は気楽だ。施主との面倒な折衝や、予算のこと、家全体の設計などについては、営業と設計者、そして現場監督がやってくれる。一時間半に一回十分間の休憩、十二時から一時間は昼休み、五時になれば仕事は終わる。そういう規則正しさがあるから、続けられる仕事だ。
いくつか気をつけないといけないことがある。それは施主は「施主様」だということだ。施主の所有物である家は、絶対に傷つけたり汚したりしてはいけないし、特に補修工事の場合は、施主の家具を丁寧に養生する必要がある。施主のトイレはなるべく使わないようにする。滅多に口はきかないが、というのも口をきいてしまうと地が出て、ヘンに馴れ馴れしくして苦情が出たことがあったからだ。どうしても話さなくてはいけない時は、最低限、バカ丁寧に話す。
私生活でも特に派手なことはしない。家族を養う自信はないし、それほど結婚したい気にもならなかったので、独身のまま、たまにソープに通っている。女はわけの分からないことを言い出して、ぐちゃぐちゃしてワガママで、面倒くさい。一度ひどい目にあって、懲り懲りしている。ソープが気楽だ。
いま彼には心配事が二つある。一つは、ずっと壁塗りをしていて、有害成分が身体に蓄積されているのではないかということ。ペンキとか下地の接着剤なんて、あまり身体には良くないんだろうと思っている。でも考えたって仕方ない。これしか出来ることがないのだから。もう一つはこの先、歳をとったらどうなるだろうということだ。身体さえ丈夫だったら、なんとかなるだろう。しかし病気になったら、まあ、国がなんとかするだろうと思うしかない。
仕事が終わると、壁塗り職人は、一膳飯屋に行き、ビールを飲む。余暇は、野球、競馬、ゴルフなど、スポーツ中継を見て過ごすことが多い。大酒を飲んで荒れることも滅多になくなった。翌日の仕事に差し支えて、生活が瓦解するような気がして恐い。
特に悪いこともしないし、どちらかというと善人だと思うが、あまりいいことのない人生だ。それでも一日よく働くので、夜はぐっすり眠れる。