私の職業生活5

その後予定どおりアメリカに留学し、帰国後は外資系企業に勤めたのだが、人事をやろうとは思っていなかった。当時は私は貧乏からなんとか抜け出したいと思っている、上昇志向しかない女だった。だから流行りの「マーケティング」なんかをやっていたのである。
ところが、結婚して、産まれた子供が知的障害者だったことで、考えが少しずつ変わっていった。
多くの人は、障害者に対し、面倒くさいし関係ないから、見て見ぬふりをする。あるいは、同情し、可能な限り優しくしようとする。これは両方とも間違っている。
まず「関係ない」ということはない。明日は我が身だ。病気や怪我でどんな障害を負うか、わかったものではない。それに障害者とまで行かなくても、赤ん坊が産まれただけで、障害者に近い思いをする社会である。
また、同情し、優しくすることは、必ずしも障害者の為にならない。もちろん冷たくする必要はないが、腫れ物に触るようにしていたって、何の解決にもならないのだ。障害者にもできること、可能性を引き出し、できる限り自立してもらうことが、結局は障害者の為でもある。誰も社会のお荷物扱いされて生きていたくはないからだ。
そんなことを考えているうちに、金や利益を追求する仕事よりも、もう少し人の為になりそうな方向に行きたいと思うようになったが、それでもいきなり社会福祉法人などに飛び込む気はしなかった。まだまだ、貧乏からの脱出ということは私の最大のテーマだったからだ。
そこで人事の仕事に出会って、これは天職だと思ってしまったわけだが、ある程度は向いていたのかもしれない。しかし、根本的に、人の為になるだけでは出来ない仕事でもあった。つまり、会社の都合に合わせて、割り切らなくてはならないことも多いということである。途中からそれに気づき始めたのだが、何とか、分けて考えられるのではないかとも思って、15年以上続けてしまった。
今回、外資系人事は卒業することにしたけれども、おかげさまで、経済的には恵まれた生活を送らせてもらったし、男女差別からも抜け出すことができたのは、良かった。感謝の思いでいっぱいです、とカッコよく終わりたいのだが、それもつまらない。いやはや、もう沢山。リストラや、会社の事情がよくわかっていない本社の説得なんて、というのが本音。そういうのを切り回していくのに、あまり意味を感じない。だからせいせいした、というところで、終わりたい。