オンライン小説「格差社会」23

そんな忙しい生活ではあったが、チエミはたいへん孤独だった。気を許せる友達も家族も恋人もいない。
考えてみれば、そんなものが居たのは、中学校までだった。家族はもともと信用していなかったが、小学校と中学校では多少は仲のいい友達がいた。しかし高校からは、自分の境遇とクラスメイトの境遇を比較し、誰も信用しなくなってしまった。
恋愛についても、はっきり言って、小田原あたりの男を相手にしたくないと思っていたし、男のほうも、痩せっぽちでがり勉ちゃんみたいなチエミを相手にしたくないと思っていた。もっと手軽で肉感的な女が転がっているのだ。
チエミは東京に出る前に、一度だけバイト先の店長とつきあった。これは純粋に、水商売をしようというのに処女なんてものは邪魔だと思ったからだった。店長は40歳ぐらいで、小汚くもなかったし、妻子がいて小心者だったから、あとあと付き纏われる面倒もなさそうだった。その経験は数分で、馬鹿馬鹿しく苦痛なものでしかなかったが、こんなものかと知ることで、楽になったし自信も持てた。その程度だから、特にもっとやりたいという気もしなかった。
「お前は知らないんだ、わかってないんだ」40歳ぐらいの店長はその後、何回も誘ったが、チエミが応じないので、言った。「一回ぐらいで、わかった気になるなよ。わかってくると、だんだん色っぽい女になってくるんだぜ?」
「それはもっと後でいい」チエミはそう答えた。18歳ぐらいであまり色っぽくても、安っぽいだけじゃないかと思った。
東京に出てきてからは、周囲の人間はすべて、利用し利用されるだけの存在であって、近寄っても、近寄らせてもいけないと思っていた。
しかしチエミは別につらくなかった。生来、活発な知的好奇心を持っていたので、あらゆる方法で情報を取り、それを調べたり勉強することが楽しかった。今までは小田原という地方都市で、両親のもとで制限されていたが、今はありとあらゆる情報とモノの集まる東京にいて、何をしても自由なのだ。誰にも近寄らず、近寄らせないことによって、どんなしがらみからも自由でいられるのだ。そのほうがチエミにとっては大切なことだった。
そんなわけでチエミは誰にも話しかけず、本音を語らなかった。チエミは一冊のノートに、客がどうしたこうしたとか、東京での生活を、好きなだけ書いた。それはけっこう自分にとっては面白い読み物になった。
そんな風に、ひたすら自分の好きなように暮らしていたが、ある日、自分はしがらみから決して自由ではなかったことを知ることになる。