退職にあたり

先週末で会社を退職、6月から次の会社に行くまで、3週間ほどの「バケーション」期間となった。
退職した会社だが、かなりユニークだった。とにかく、人のワルクチを言わないで、良い所、美点を見つけるようにしている人が揃っていた。もちろん例外はある。しかし稀有なことだ。たぶん社風として、ワルクチを言う人には注意したり、排除したりするようにしてきたのだろう。
ところで、この会社には3年半しかいなかった私だが、古臭さを打破することしか頭になかった。そりゃそうだ、最先端であるべきハイテク企業なのだから、旧態依然ではつぶれるしかないと思っていたからである。
しかし会社には古臭い人々がかなり居た。やっかいなことに、彼らは自分が古臭くなってしまっているということを知らなかった。20年も30年も、外の風に当たらず、同じ環境で仕事をしていれば、どんな人でも古臭くなるが、その自覚はない。
同時に会社には中途採用で入社した人々もいた。彼らは古臭さの美点も十分理解した上で、閉塞感や危機感を持っていた。だがそれをストレートに表現すれば、「人のワルクチは言わない」という社風に背くことになる。
ちょっと待ってくれ、「そのやり方、考え方は今の時代、正しくない」と表現することと、人のワルクチを言うこととは違うじゃないか。と思うのだが、人のワルクチを言わない社風においては、どんなに正しい意見を言っても、反対意見はその人に対するワルクチとみなされるのである。
私は、実はそんな社風は私には関係ないと思っていた。というか、そんなものを気にしていたら、意見もいえないし、したがって仕事にならないと思っていた。仕事が人事部長だったので、意見を述べて会社の方向性に作用することが必要だったのだ。そもそも私はどこへ行っても、あまり「勤め上げる」ことを優先させない。だから社歴が短くなってしまう。
そんなわけで、私のことを煙たく思っていた社員も多かったと思う。ところが送別会には20人もの人が集まってくくれたし、個人的に心のこもったメッセージをくれた人もかなり居た。心の中で応援していました、なんて言われた。
どこまでも、「人にはナイスに」、な会社だった。
しかし、最後にナイスにしてくれても、もう遅い。ていうか、去る決断をしてからではもう遅いのだ。応援している、という話は在職中にしてほしかった。
退職のアナウンスが出てから、何人もの人が深刻な相談に来た。もっと早く相談しろ、と思うのだが、まったく日本人的だ。そのような人がたくさん居ることに、会社の上のほうは気づいていない。
在職中から本音でぶち当たることを少しは心がけないと、この会社はけっこうヤバイと思ったのだった。