ら・ふろらしおん(仮名)マダムの独白7

夫が青山の店の権利を売ったお金で、安房鴨川にら・ふろらしおんをオープンしたの。バブルがはじけてすっかり日本人が落ち込んでいる時だったから、かなり安く買うことができたわ。あたしがアンティークっぽく内装して、店にあった品物を飾り付けたのよ。
従業員だけど、あたしは天涯孤独だけど、夫には金がある頃から群がってきていた親族がいて、彼らを全部、従業員にした。フロント係、ハウスキーパー、レストランのウエイター、厨房、こんなホテルでも10人ぐらいの人間は必要よ。足りない分だけ地元で雇った。
会社組織にする手続きもすべて夫がやってくれた。そういうことは手慣れたものだったわ。ただ千葉の役所との交渉で、やり方が古すぎるって怒ってたし、工事業者にしてもインテリア業者にしても、ろくなもんじゃないってボヤいてた。東京で商売してきた人には、けっこうストレスだったみたい。
オープンしたけど、客の入りは思ったほどじゃない。日本中、贅沢している場合じゃないって雰囲気だったの。ほんと流されやすいのよね、日本人。だから嫌いなのよ。
夫は店をやっていた時のツテで、まず芸能人を呼んできた。ちょっと落ち目ぐらいの女優とか、フリーのアナウンサーとか、なにしろ有名人に来てもらおうってこと。もちろん3階の特等室(とあたしたちは密かに呼んでるんだけど)に泊めて、サービスにも気を遣った。それから雑誌、テレビに一生懸命売り込んだ。あの頃からかしらね、テレビでしきりとグルメと旅番組をやるようになったのは。何回か撮影してもらったことがあるわ。眺めはいいし、あたしもまだ四十歳そこそこで美貌だからさ、テレビ映りは良かったのよ。
夫は商才のある人だったし、それなりのシェフを連れてきて、ちゃんとした料理を作らせ、自分が隅々まで目を光らせてホテルとして行き届いた管理をした。ゲイだったからかもしれないけど、細かいところまでとにかくよく気配りできる人だったわ。それで寿命を縮めたかもしれないわね。オープンして10年後に70歳で死んだの。脳梗塞、あっという間だったわ。
2階のタコ部屋(とあたしたちは密かに呼んでるんだけど)は従業員の泊まり込む部屋だったけど、そのうち勿体なくなって、予約が3階だけで受けきれないときはお客を泊めるようになった。なかなか夫がやっていたようには出来なかったわ。女だと思って業者も足下見るしね。こっちだって因業ババアになろうってものじゃないの?