ら・ふろらしおん(仮名)マダムの独白5

不動産屋には5年勤めて、一度別の不動産屋にスカウトされて転職したりもして、けっこう頑張っていたわ。客のウケは良かったわよ。美人だし、テキパキしているし、無理なものは無理ってはっきり言ってたし。あの頃はバブルに突入しようという時期で、五千万円台の新築マンションを都内で探すのが無理だったわ。だから普通のサラリーマンじゃ手が出ないのよ。だいたい五十平米台の3LDKで七千万超えしてた時代よ。あのさ、五十平米で3LDKってどういうことかしらね、6畳のリビングよ? 箱庭みたいじゃない。とにかく不当に高かったの。なのに五百万円ぐらい頭金を持って、なんとかなりませんか、新築がいいんです、なんて言うのよ。そんなに無理して買ったって、いいことないのにね。あたしは田舎で育ったから、狭苦しいマンションに大枚はたいて人生賭けるなんて、信じられなかったわ。
でも結局、不動産屋を辞めたのは、どうしても宅建資格が取れなかったから。どうやったって、中卒の学力じゃ、無理なのよ。これは親を恨むしかないわ。あたしがいいところまで商談を持って行くと、偉そうに宅建を持っている店長が出てきて、重要事項の説明をして、マージンを持って行っちゃう。この世界ではあたしは一生下積みだって思ったの。それで25歳で水商売に入ったわけ。
親といえば、本当にむかつくのよね。結婚してからそれなりに生活は安定していたんだけど、それを嗅ぎつけたらしく、どうやってかあたしの住所を調べ上げて、手紙をよこしたのよ。何回も。当時は個人情報保護なんて考え方はないから、役場もあたしの現住所とか親に教えちゃうわけよね。
父親も中卒だから、ろくな文章じゃないんだけど、便箋3枚ぐらい、お前を育て上げたのに一度も帰ってこなくて、母さんも死んで寂しいとか、俺も歳をとって漁がつらいとか、要するに金寄こせなのよね。あたしは絶対に送金しなかった。冗談じゃないわ。どれだけ殴ったと思ってるのよ。あたしが東京でどれだけ苦労したと思ってるのよ? あたしは親が東京に来る勇気がないのは知っていたわ。親にとって、東京がどれだけ遠いかね。だからひたすら無視していたけど、あんまり腹が立ったので、一度だけメチャクチャな手紙を書いて出したの。あたしはあなたたちを恨みに思いこそすれ、愛情なんかひとかけらもありません、親子の縁を切りますってね。そうしたらもう何も言ってこなくなった。5年ぐらい経って、死んだって同郷の人から聞いたわ。