私の職業生活1

このたび会社を辞めることになった。どういうことかといえば、「外資系・人事部長」の世界から引退しようという決心をしたのだ。
外資系・人事部長」の世界で15年ぐらい生きてきたが、そろそろ卒業させてもらいたいと考えた。
卒業するにあたって、自分にとってのまとめの意味もあって、これまでの職業生活について少し書いておきたい。
まず今日は、なぜ、外資系人事部長の世界に入ったかということ。
外資系については、たまたま英語を勉強したのと、私が外資系に入った25年ぐらい前というのはまだまだ男女差別が厳しくて、日系の会社だと、制服を着せられて、お茶くみ、机ふきなどやらされたからだ。
今の私を知る人からは信じられないことだと思うが、この私が、8時に出社して、制服に着替えて、煙草の灰が散らばった机(当時、オフィス禁煙なんてことは珍しかった)を、20人分ぐらい拭き、それが終わると、20人分ぐらいのお茶を入れていたのである。
このお茶だが、ある人はブラックコーヒー、ある人は砂糖だけコーヒー、ある人はミルクコーヒー、紅茶、日本茶と、20人それぞればらばらであって、それぞれの名前とメニューが、キッチンに手書き表で貼ってあるのだ(当時、PCはまだなかった。)しかも、一人一人、マイ茶碗を持ってきていて、誰の茶碗かを覚えなくてはならない。毎朝、茶碗と表をにらめっこしつつ、コーヒーや紅茶やお茶を淹れていた。
お茶だしが終わると、今度は全社員集めての朝礼である。本社が100人ぐらいで、あとは各地に支社のある会社だったので、講堂みたいなところに集まり、支社とはどうやってつないだのか忘れてしまったが、テレビ会議みたいにハイテクなものはなかった。
朝礼では、いくら売れた、売れなかった、あいつはダメだという、販売部長からのありがたいお話を聞き、最後に、社歌をうたい、社是を朗読した。
この社歌だが、習慣とは恐ろしいもので、私はいまだに歌える。早く忘れたいのだが。。。
仕事はほとんど雑用である。12時と3時にまたお茶だしがあり、3時にはラジオ体操をした。5時になると茶碗を洗った。
こういう日常を送っているうちに、私はなんのために英語を勉強し、志高く社会人になったのかという疑問が当然生じて、日系を去ることに決めた。
ところでこういう雑用だが、今の私は「雑用をきちんとやってこそ、業務がうまくまわる」ことはさすがに分かっているし、いろんなことをやるほうが飽きないと思ってもいて、あまり苦にはしないと思う。ただ、朝、昼、3時と決まってお茶を出す必要があったのかは甚だ疑問だし、結局、お茶くみ論争みたいなのがその後社会的にあって、自分のお茶は自分で好きなように淹れる社会になった。それは良かったと思う。