オンライン小説「格差社会」6

そしてチエミは決めたのだ。一億円を貯金する。そのうえで、何をしたいのか考えようと。それには普通にOLや、工場勤務では話にならず、美容師やトリマーなどでもだめで、水商売をするしか方法はないとチエミは考えた。
もう一つ考えたことは、法律には引っかかってはならないということだ。詐欺罪なんかでつかまるような手は使わない。社会は自分をバカにして踏みつけにしてきたが、これ以上、犯罪者としてさらに踏みつけにされる気はない。正々堂々と、笑って見返してやる。
チエミは産まれて以来住んでいる小田原の安アパートに、水商売の女がいるのを知っていた。五年前ぐらいに越してきて、アパートの他の住人はいやがっていたが、藤巻家はどうだったかといえば、母はそんなことで怒るような気力もない世捨て人だし、父はニヤニヤして、ただ乗りでもできないかぐらいのことしか考えていなかった。
美由紀というその女は、朝は疲れた顔をしていて夜になるとけばけばしい格好をして出て行く他は、男を連れ込むこともなく特に迷惑をかけることもなく暮らしていた。水商売なりに健全で長続きしていることにチエミはなんとなく注目していた。
チエミは美由紀と出会うと、ニコニコして挨拶するようにした。機会があれば話しかけようと思っていた。水商売とはどんなことなのか教えてもらいたかったからだ。母しか使わないPCを、母がいない時にチエミも使って、キャバ嬢のブログやら店のウエブサイトやらをのぞいていたが、それは綺麗に飾ったものでしかない。
ある時学校帰りに、近所の駐車場で、ボロボロに錆びたRX−7から美由紀が買い物袋を持って降りてくるのに出会った。よくこんな錆びたクルマに乗るものだ。「RX−7が好きなんですか」チャンスだと思ってチエミは声をかけた。
「あらー、よく知ってるわね。マツダの傑作だったのよう」美由紀はスッピンのシミだらけの顔で微笑んだ。
「父がクルマ好きだから。タクシーの運転手だし」父が唯一よく知っていることがクルマだった。タクシー運転手になる前に勤めていたのも自動車部品工場だったのだ。
「そうだよねえ、藤巻さんとこ、タクシーだよねえ。こんなボロボロになっちゃったけど、買い物に行くぐらいは十分走るわよ。それにほーんと、気に入ってるのよねえ」職業柄なのか、賑やかな話しぶりをする。
「いいじゃないですか、気に入ってるんだから」しかし凄まじい錆だ、と改めてクルマを振り返りながらチエミは美由紀と肩を並べて歩き出した。
「この駐車場持ってるの、うちのアパートの大家さんなんだけどさ。いっつも呆れられてる。よく動くねえって。でも買い換えるのも楽じゃないし、必要ないんだよね」
「ドライブとか行かないの?」
「行くときはね、お客さんのクルマだから。ゴルフついてったり、するんだけどさ」
「そうなんだー、ゴルフついてったりするんだ」
美由紀はふと振り返ってチエミの顔に見入った。
「なんか、あたしに興味ある? この前からニコニコして挨拶してくれるじゃん。小田原高校行ってるんでしょ。そんなお嬢さんがなんであたしと話してくれるのかな?」そこには実はチエミをバカにしているような、ひがみと開き直りの混じった複雑なトーンがあった。
「あなたにというより、水商売に興味があるの。卒業したら、やるって決めてるの」
「あはは! よしなよー。だってアタマいいんでしょ?」
「この程度アタマがいいなんて、これだけ貧乏だったら、何にもならないですよ!」チエミはいきなり大声を出した。「どんな道もありません。貧乏な親の子は貧乏になるだけなんだ。そうでしょう?」
「まあ、そうだ。そうだわね」美由紀はチエミの剣幕にびっくりしたが、すぐ、初めて気がついたというように頷いた。
「だからとにかくお金を貯めようって決めたの」