オンライン小説「格差社会」3

藤巻恭子は自分と夫の秀夫の朝食に、トーストを出すことはかろうじて続けていた。秀夫が工場をリストラされるまでは、朝食には卵もサラダもつけたが、その後は月20万円で家族3人が暮らさなくてはならなくなった。今年の春に娘のチエミが家出同然に出て行ってからは、口が一つ減って多少は楽になったが、朝早く起きて秀夫のために料理をしようという気力はもう恭子には残っていなかった。毎日パートの帰りに夕方の安売りが始まる頃、スーパーに寄って、6枚切りで150円の食パンを買う。これを2人で3日食べる。
パートは菓子工場の事務兼雑用係で、どうせ化粧する甲斐もないから、いい加減に身支度をした。40歳を過ぎた、うつ病経験者の恭子に関心を持つ者はいない。PCの電源を入れて、ネットゲームを30分ほどやる。PCは菓子工場の景気が良かった時に、1万円で払い下げになったものだ。景気が悪くなった今では考えられないことだ。それどころか恭子もいつクビになるか分からないが、別にどうでもいいと恭子は思っていた。食べられなくなったら、死ねばいいこと。
恭子は子供の頃から優等生で、いつもオール5に近い成績を取り、お茶の水女子大学に進学した。卒業後、クレジットカード会社に「総合職」として入社した。半年も経つと、恭子は仕事を任されるようになった。しかしその業務量は半端でなく多かった。なんとかすべてをこなそうとして、毎晩12時まで残業するようになった。恭子は仕事を中途半端な、いい加減な形で放り出すことが出来なかった。助けを求めることもしなかった。子供の頃から、何でも出来たし、何でも出来なくてはならなかったのだ。
入社2年で恭子は会社に行くことが出来なくなった。どうしても朝起きられないのだ。両親は恭子が怠惰だといって責めた。恭子は自殺を考えた。
やがてクレジットカード会社の人事の男が家までやってきた。休んでいる恭子は戦力にならず、そんな社員に給料を払うことはできないと母親の前で言われ、退職届に捺印させられた。
「お嬢さん、うつ病なんじゃないですか? 医者に診せたほうがいいですよ」
帰りがけに人事部員は母親に投げつけていった。
精神の障害で医者に診せることを父親は嫌ったが、さすがに母親が説得して、病院に行った。そしてうつ病と診断された。
両親はうつ病と単なる怠け癖を区別することができなかった。薬を飲み、食事もあまりせず、ただ家にいる恭子に両親は苛立った。両親は恭子が独り立ちしたらさっさと家を売って、老人ホームに入ろうと考えていたのだ。
少し状態がよくなると、父親が見合い話を持ってきた。それが藤巻秀夫だった。恭子にとって両親と一緒にいることは地獄だったし、秀夫は偏差値の低い高校しか出ていないけれども、実直で真面目に働く男のようだった。この見合い話を断ったからといって、自分にいったい何ができるだろう。
恭子は結婚して小田原に移り住んだ。秀夫とはろくろく話も成立しないことはすぐに分かったけれども、暴力も振るわないし、ギャンブルもしない、酒もほどほど、真面目によく働くことに恭子は満足した。チエミが生まれ、うつ病はほぼよくなった。
そしてチエミが10歳になった時、秀夫はリストラされてしまったのだ。