『一神教の闇』

一神教の闇』という本を読んでいます。人に勧められたのですが、以前から日本人の宗教ということについて、興味があったので、買いました。
日本人は「宗教は?」と聞かれると、答えに困る人が多いです。仏教も神道キリスト教も、本気で信じて真面目に活動しているわけではない。結婚するときは神道キリスト教で、死ぬときは仏教。実にいい加減で、恥ずかしいと思っているのは、私だけではないはずです。
ところが『一神教の闇』によると、日本人の宗教観はアニミズムである。生きとし生けるものにはすべて、神が宿っている。現世にあるものが大切であり、いま輝いている命が美しいのであり、どこかに美しい天国があって超越的な神がいるという「一神教」とは違う、ということです。
さらに著者は、一神教、つまりキリスト教イスラム教は、どこかにユートピアを求めようとすることで、異教徒を排除するようになり、甚だしくは敵対することとなり、聖戦などという名目のもとに異教徒を殺すようになる、と主張します。それに対して、現世を肯定するアニミズム的日本人は、根本的に平和主義者であり、自然を愛する人々である。いま世界に必要とされているのは、アニミズム的日本人だというのです。
こういうふうに私が極論して書いてしまうと、クリスチャンの方々に申し訳ないですが、『一神教の闇』にはもっときちんとした学問的分析が為されています。もちろんクリスチャンにもイスラム教徒にもいろいろな宗派があり、考え方があるので、こう極論することはできません。日本人が自然を愛する平和主義者だというのも、いろいろな人がいるしなという感じです。
ただふと思ったのは、欧米の文学や音楽に接していると、「遠いものへの憧れ」のようなものを強く感じるということです。憧れというのは、どこか遠くに、美しく完璧な世界があり、現世にいる自分がその世界のことを考えるとき、悲しみに似た気持ちがする、という感じです。C.S.ルイスはその憧れを若い頃に強く意識して、キリスト教の世界に入り、宗教学者となり、また『ナルニア国物語』を書きました。この憧れと、一神教的世界観は、強く結びついているのかもしれません。
ところが日本の文学や音楽には、そういう憧れはないような気がするのです。せいぜい、どこかに理想の女がいるとか、その程度ではないでしょうか。これも一般化しすぎですが、非常に現実に密着しており、泥臭いような感じがします。
私は「どこか遠くに、美しく完璧な世界があり、現世にいる自分がその世界のことを考えるとき、悲しみに似た気持ちがする」という感情は、嫌いではありません。何かそういう、自分には手が届かないかもしれないものを目指したり、求めるという気持ちは、美しいですし、勇気を与えてくれます。しかしもちろんそれが極端になれば、美しく完璧な世界を達成することの邪魔をする者は排除するという思想になるでしょう。