ネコが死ぬ小説

先日私はネコの眼で見た人間世界の小説を書いた。これはもちろん夏目漱石の二番煎じであって、新鮮でもなんでもない。とにかく震災以降、ちょっとおかしくなっている人間の様子を、第三者の視点から描写するには、ネコが便利だったのである。
それはともかく、私はネコが好きだ。どのくらい好きかというと、犬よりも好きだし、家にも二匹いるし、毎晩一緒に寝ている。
しかし小説の中では私は最後にネコを死なせた。小説として、私の考えでは、このネコは死ぬべきだったからだ。
ところがそのことに対して、「ネコがかわいそう」「動物好きとして、ネコが死ぬのは許せない」という評価をする人がいる。これには驚いてしまった。
私は小説を書いているのだ。その中では自分が好きなものも嫌いなものも書かなくてはならない。好きなものを贔屓して、万歳みたいな小説を書いたってしょうがないし、嫌いなものはひどい目に遭わせてめでたしみたいなこともできない。そんなことをすれば何の価値もない、ぬるい小説になってしまうし、好き嫌いより大切なことがある。
小説を書くうえでこれはかなり基本的なことだと思う。かわいそうなものは読みたくない、好きな動物は殺さなくてもいいんじゃないか、そんなことを言っていたら、小説なんか書けないだろう。いや、そんなことを言って書いたぬるい小説は、自己満足でしかない。自己満足で結構かもしれないが、それにもレベルがある。かなり低いレベルの自己満足だと私は言いたいのである。
まあ私の小説を読んで不快だったからそのように言われてしまうので、もっと上手く書けていれば、ネコが死ぬところで涙してもらえたのかもしれん。修行が足りないということで、はい、了解っす。

おまんじゅう化

ジミー・ペイジが一時期、おまんじゅうみたいになったのは、1990年代の後半から2000年代の前半にかけて、ペイジ&プラントをやっていた頃だろう。

どうしたわけかアロハシャツから太い首を出してギターを弾いている写真などは、ブラジル人化してしまったのではないかというぐらい太ったおっさんであった。20代から30代の頃、あの神のように美しかったジミー・ペイジを知っている人間としては、あまりの悲しさに見たくないと思ってしまうのである。

しかし、レッド・ツェッペリン解散後約40年、本当にいろいろな出来事を乗り越え、なんとかジミー・ペイジは生き延びたわけである。そしておまんじゅう・ペイジもこの40年の一部だ。

髪が白くなる頃から、おまんじゅう化は収まり、またカッコいいオーラが出てきた。酒をやめたせいかもしれないし、女と別れたせいかもしれない。え、別れてない? どっちでもいいや。

たぶんこの40年は、他のメンバーよりもジミー・ペイジにとってつらいことが多かったんだと私は勝手に思う。いみじくもキース・リチャードが言った、「ロバートもすばらしい、ボンゾもすごい、ジョンジーはうますぎる、云々、だけどレッド・ツェッペリンは、ジミー・ペイジなのだ」。私もそう思う。レッド・ツェッペリンジミー・ペイジのバンドだった。だから乗り越えなくてはならないことが一番多かったはずだ。そう簡単に、女とデュオを組んで新しい音楽に取り組んだりできるもんじゃない。それもあってあのおまんじゅう化じゃないかと思うんだが。

とにかく今は多少お腹は出ているものの、実にいい感じになっているのである。三味線を持たせたら、ハマったね。こんな素敵な老人は見たことないぐらいである。

だいたい68歳になっても「この女の子を連れてきてね」とかグラビアアイドルを指して言ってみたり、「結婚してるの、ご主人はラッキーだね」と言ってみたり、色気があるのがよろしい。こんなことをいやらしくなく言える老人は滅多にいない。

ジミー・ペイジがいい年の取り方をしてくれて本当にうれしい、今日この頃である。

美しいジミー・ペイジ

10月16日のジミー・ペイジ来日記者会見&Celebration Dayプレミア試写会に当たって、生・本人に出会ってから、ずーっとジミー・ペイジ漬けである。

考えてみればもう40年近く、浮き沈みはありながらジミー・ペイジの熱狂的ファンを続けてきたが、生・本人を見て、やっぱり良かったな、後悔しない!って感じだ。(後悔するだろ、とは言われていないが)

浮き沈みの、沈みのほうだが、50代ぐらいのジミー・ペイジは、ハッキリ言ってひどかった。Black Crowesとやっていた時なんか、「えーーーー??」ぐらい、オーラがない。体重が増えて髪の毛が変わるだけで、あんなになるのかと思った。

さらにZEP解散後の、ヨレヨレしていた時もあまり好きではなかった。もちろんショックでヨレヨレするのは「キャー」もので同情するのだが、酒にタバコにクスリでイキがっている感じで、良くなかった。

しかし髪の毛が白くなったあたりから、いい感じになってきた。一説には酒もタバコもやめたからだというが、健康志向でずっと長生きしてもらうのがいい。御年68歳、いつ死んでもおかしくないが、ずっとギターを弾き続けてもらいたいものだ。

なにしろ、ZEP現役のころのジミー・ペイジは、マジで美しかった。信じられないくらい美しかった。いくら言っても言い足りないぐらい美しかった。しつこいからやめるが。

私は高校1年生の時にミュージック・ライフのグラビアで、ジミー・ペイジを見た時の衝撃が忘れられない。それまでビートルズとかクイーンとかエンジェルとか聴いていたわけだが、すべて吹っ飛んでしまった。こんな美しい、しかも知的そうで、ギターうまくて、音楽もすごくてみたいな人がいるんだ、と思って、猛烈に好きになり、以降ずっとその調子で好きなのである。

当時は情報源としては音楽雑誌(しかもわりとしょーもない)と単行本ぐらいしかなく、いったいジミー・ペイジとはどんな人なんだと必死で情報を探したものである。とにかく圧倒的に情報がなかったのである。だからThe Song Remains the Sameが公開された時には、1日で4回連続観てしまったのだ!(当時は入れ替えなんてセコいことは言わなかった)

この時もギター弾きながらすごく動く! ということに驚嘆し、ひえーと叫び続けたのであった。

You Tubeがあっていくらでも動画が見られる時代になり、情報もどんどん入ってくる。ありがたい時代になったものである。それで改めてジミー・ペイジ情報を漁っているわけだ。

この話題はちょっと続く。

渋谷ヒカリエ

夫によれば「金持ち負け犬系女子」を狙った渋谷ヒカリエに行ってきた。
客を見ると、確かに身なりがよく小奇麗な、30代以降の女性が多い。
私は渋谷が大嫌いだ。これでもはるか昔、小学生時代は渋谷の東急プラザの裏あたりに住んでいたこともあり、その頃は落ち着いた「デパートのある街」であって、買い物といえば渋谷だったが、50代になった今となっては、もうわけのわからない若者カルチャー横溢の街で、疎外感を感じるばかり。買いたいものもないし、やたら混んでいるし、ほとんど行かない。
渋谷に対してはそういうスタンスでいるオトナが多かったと思うのだが、若者はしょせん金を落としてはくれないらしく、渋谷にオトナを呼び戻そうということでこのヒカリエが出来た。
しかし買い物をするオトナとは誰かといえば、ファミリーを持ってる人は、自由になる金が少ない。男はちゃらちゃらと雑貨なんか買わない。だからターゲットはやっぱり「金持ち負け犬系」になるわけだ。
そんなわけで私もボロボロになってきた財布を取り替えた。派手だ。店員の女性がすごかった。あまりに上手なので買わされてしまった。まあいい。

とにかくどこのショッピングセンターも同じ店しか入ってない中で、このヒカリエは、知らない店が多いし、ロンドンの店も多い。
しかし渋谷にあるので、たぶんそんなに行かない気がする。これが丸の内にあったなら、毎日通ってもいいが。。。

ネイルという贅沢

ようやく以前の稼業に戻ることが出来たので、調子づいて、今日は堰を切ったように買い物をしてしまった。

といっても、大した額ではない。失業する前は、もっと金遣いが荒かった。それに比べれば、まだまだである。

しかし、高価な物を買ったり、長続きしないことにお金をかけるのには、さすがに慎重になっている。

たとえば、ネイルだ。以前は月1回のペースでカルジェルを塗っていた。

「手は、自分が本当によく見る場所だから、その手が綺麗なのは、気分的にだいぶ違う。それに、1カ月近くカルジェルはもつから、マニキュアに較べれば、格段にコストパフォーマンスがいい」

という考えに基づき、ネイル屋(そんな呼び方があるのか)に通っていたわけだ。

しかし、今は、手であまりにも多くのことをこなすことを考えると、どんなにカルジェルが丈夫でも、何もないほうが動きやすい気がするし

塗るのは、顔だけで十分だというか、テレビタレントじゃあるまいしと言う気もするし

何よりも、ネイルを塗ることにかかるお金と時間(2時間ぐらいか)が勿体ないと思う。

この失業期間中に、ネイルなんかとうてい塗れない介護ヘルパーの世界を垣間見たので、ネイルアートなんかしてチャラチャラしてんじゃねえよという反感もある。

えっと、要は、恋をすれば塗るだろう。テレビタレントではないけど、塗る必要が出てくるのは、恋愛をするときだけだと思う。私がネイルを塗ったら、ヤバいことが起きているんである。

まあ、恋愛もまずないから、もうネイル屋には行かないだろう。

おおさか

土曜日から足かけ3日、大阪と京都をウロウロしている。夫は食い倒れが目的だし、私はピリピリした関東地方を離れたいというのと、徳島にちょっと用があるのだ。

今回は小奇麗な大阪には全然行かず、難波、天王寺通天閣、鶴橋といった、ディープなあたりを歩いていた。しかし私には、最近の東京より、このあたりのほうが、ずっと人間的な感じがする。店員はちゃんと自分のコトバで喋っているし、子どもはたくましくて素直だし、誰もがきちんと自分の欲望を目の前に出して歩いている感じ。

東京には、もうこういう人間的な街はなくなってしまった。どこも小奇麗で、適当に洗練されて、マニュアル化されている。だから小田原に引っ越したというのもあるのだが。

なにしろ東京は2千万人近くが昼間、集まっている巨大都市であって、地縁もうすく、マニュアル化でもしておかないと理解しあえないから、あんな風になるのだろうが、つまらない。

大阪に来て、漠とした不安が少しずつ薄らいでいく。人は人を追い落とすためにだけ生きているわけではない。私自身が、無価値になったわけではない。というか、最初から、無価値な人間なんて、居ない。

自業自得

なんだかんだ、悲劇に見舞われているうちに、4月になった。私には、日本全体が重苦しい不安に覆われているように見えるが、違う角度で見ると、別にどうってこともなく暮らしている人が大半なのかもしれない。なにしろ私自身が、急に世間が狭くなったので、よく感じ取れないのである。
仕方がないので、自分自身にかなり沈殿して過ごしている。とにかく、自分に言い聞かせ、信じていることは「自分はいま、脱皮の最中なのだ」ということだ。変身しようとしているのだ。これは大手術を受けるようなもので、かなりの痛みをともなう。でも、もう始まってしまったことだし、乗り越えるしかない。
考えてみれば、定年退職を迎える時、どんなに周到に準備していても、これに似た虚脱感、空中に放り投げられどこに着地していいか分からないような感覚を持つのではないか。それが早くやってきたのだ。というか、自分で、早くやって来させることを、選んだのだ。
なんでそういう道を選んだのか考えてみると、自分の言葉を取り戻したかったのだと思う。長生きして無事な人生を送ることも大事だけれど、飼い殺しみたいにされたり、理不尽なことを飲み込んだりして、言葉を失ったまま、死にたくなかったのだ。
たぶん、この脱皮には、1年以上かかる。しかし謂れのない悲劇に襲われた被災者の方々も、力を振り絞って立ち上がろうとしているのだから、私もここで諦めたりはしない。だいたい、自業自得だし。