ネコが死ぬ小説

先日私はネコの眼で見た人間世界の小説を書いた。これはもちろん夏目漱石の二番煎じであって、新鮮でもなんでもない。とにかく震災以降、ちょっとおかしくなっている人間の様子を、第三者の視点から描写するには、ネコが便利だったのである。
それはともかく、私はネコが好きだ。どのくらい好きかというと、犬よりも好きだし、家にも二匹いるし、毎晩一緒に寝ている。
しかし小説の中では私は最後にネコを死なせた。小説として、私の考えでは、このネコは死ぬべきだったからだ。
ところがそのことに対して、「ネコがかわいそう」「動物好きとして、ネコが死ぬのは許せない」という評価をする人がいる。これには驚いてしまった。
私は小説を書いているのだ。その中では自分が好きなものも嫌いなものも書かなくてはならない。好きなものを贔屓して、万歳みたいな小説を書いたってしょうがないし、嫌いなものはひどい目に遭わせてめでたしみたいなこともできない。そんなことをすれば何の価値もない、ぬるい小説になってしまうし、好き嫌いより大切なことがある。
小説を書くうえでこれはかなり基本的なことだと思う。かわいそうなものは読みたくない、好きな動物は殺さなくてもいいんじゃないか、そんなことを言っていたら、小説なんか書けないだろう。いや、そんなことを言って書いたぬるい小説は、自己満足でしかない。自己満足で結構かもしれないが、それにもレベルがある。かなり低いレベルの自己満足だと私は言いたいのである。
まあ私の小説を読んで不快だったからそのように言われてしまうので、もっと上手く書けていれば、ネコが死ぬところで涙してもらえたのかもしれん。修行が足りないということで、はい、了解っす。