オンライン小説2「規格外」17

奈緒子はこれまでおおむね、静寂の中で一人で生活してきた。
百合子は帰宅が午前二時とか三時とか、朝方になることもある。食事の用意や掃除、洗濯をしてくれたのは家政婦だが、奈緒子が帰宅したら帰ってもらうようにしていた。というのも、良い家政婦に当たったことがなかったのである。家政婦は数えきれないぐらい代わった。仕事ぶりがだらしなかったり、家の中のことを詮索したり、ひどい場合は百合子の装身具が盗まれたこともあった。ろくなことがないので、百合子も奈緒子も、家政婦と仲良くすることを諦めてしまい、とりあえず仕事さえちゃんとやるなら可として、出来るだけ顔を合わせないようにしたのである。それも、奈緒子が高校を中退すると、家事は自分で出来ると言って、週二回、掃除にだけ来てもらうようにした。
高校に行く頃には、お客が来る時以外、学校でも家でもほとんど独りで過ごしていた。家事を一人で全部こなし、買い物に行き、勉強し、イギリスの小説を読み、うるさいロックや、クラッシック音楽を聴き、洋服の手入れをしていた。
母は毎日五時に家を出るが、週に一回は店の女の子や従業員をお茶に呼ぶ。店のチームワークのためだそうだ。この時は広くて清潔で静かなマンションが賑やかになる。休みの日には母は常連客を麻雀に呼んだ。奈緒子は彼らに挨拶して、お茶や菓子、ビールやつまみを出してやる。一緒に話を聞いていることもある。大人と一緒にいるほうが落ち着くし、楽しいのだ。愛想よく応対する若い娘ということで、大人たちの人気者である。
また店の慰安旅行や、常連客五、六人で連れ立っていく旅行にも奈緒子はついていった。同年代の女の子と遊びに行ったり、旅行することは皆無だった。彼女たちが興味を持つ洋服や小物に、奈緒子はまったく興味がなかったし、同年代の男の子の噂話もできなかったからだ。
遊びに行く時は一人か、母の荷物持ちである。母の店にちょくちょく出入りしていたから、銀座は自分の庭ぐらいに思っている。メイクをして、新宿や渋谷で買い物をし、そのあとビアホールでビールを飲むぐらいは、平気でやってのけた。態度が堂に入っているので、未成年だろうなどと疑われたことがない。しかし別にそれを自慢に思っているわけではなく、咽喉が乾いてお茶ではなくビールを飲みたかったから入るにすぎない。酒も煙草も中学生の時から経験している。当たり前なことをしているだけである。
百合子の生活がだらしなくならなかったのは、有難いことだった。百合子は子供を産んで数年後に、徳永の援助もあって自分の店を持ったのだが、その頃から特に、男は商売道具か、単なる友人としか見られなくなったようである。奈緒子の知る限り、百合子が決まった恋人を持ったことはなく、どちらかといえば、金が恋人であった。
母は毎朝九時には起きて、グレープフルーツの朝食を摂り、日経新聞を読む。一〇時になるとスッピンで、軽自動車に乗ってスポーツクラブに出かけ、ネイルサロンやエステに寄り、花屋に寄って店に飾る花をみつくろい、二時ごろ帰ってくる。それから客にメールしたり電話したりして、四時から身支度をはじめ、五時に出勤する。途中でヘアサロンに寄る。休みの日は麻雀か買い物か、お客とゴルフだ。この日課は判で押したように変わらない。
ここに宮田が闖入してくるのは、奈緒子にしてみればまったく「無理筋」な話だった。正しくは、奈緒子のために別に住居を用意するか、母が引っ越していくか、どちらかであるべきだ。
しかし、母にそう言うと、母は「あらー、家族三人で仲良く暮らすのよ」と言ったのである。