怖い会社

社長がいい話を聞かせてやるとばかりに言っていたことだが、彼の前の会社で、余命幾許もない重役が、死の直前まで陣頭指揮をとっていたという。痩せこけた鬼気せまる形相で出社する姿に、全社員が畏敬の念を抱いたそうである。
感じ方というのは人それぞれであって、別に文句をつけるわけではないが、私はそれはけっこう迷惑な話であると感じる。
いつ倒れるか、いつ亡くなるか、どんなふうに亡くなるんだろうか、どんな言葉をかけたらいいだろうか、ここで休んでもらったほうがいいんではないか、来週のアポなんてとっていいんだろうか、云々云々、周りの社員はものすごく気を使ったにちがいない。
気を使わせていただいて光栄です、幸せですと彼等は恐らく言うのだろうけれど、私はそうは思わない。
仕事というものに対する、根本的な考えの違いがここにある。私にとっては、会社とは仕事をする場所であって、自己実現のための場所ではない。会社には、お金をもらうために、労働を提供しに来ており、ついでに自己実現できたらラッキーである。
会社は物やサービスを売って利益を得て存続していくところで、社員はそのために労働力を提供するのである。人生を賭けるとか、仲間と働くとか、そういうことが主眼なのではない。
私はチームワークとか団結とか、愛社精神を否定していない。しかしそれはすべて仕事のため、仕事のために欠くことができない大切なことである。自分の人生そのもののためではない。
私がもしその重役のように重病になったなら、私は会社の人間に迷惑をかけたくないので、会社にはいかないだろう。そして残り少ない自分の人生を、会社以外のことを考えて過ごすだろう。
死の間際まで会社のことを考えている重役と、それをありがたいと思う部下がいる会社というのは、私にとっては、かなり怖い会社である。なぜならそのように会社と人生が同化している会社では、会社の正義が社会の正義と考えられがちで、本当にまともなことは何なのかというのが、わからなくなりがちだからである。
そして、まともなことが分からなくなった人間たちが、世の中を大手を振って歩いていて、社会のかなり重要な部分を占めているということを、私は最近、発見したのだった。しかし、今頃気づくとは、私も相当にのん気だ。